清里町の歴史
歴史
あゆみ(ダイジェスト)
貞享年間
松前藩の管轄であった。
文化4年
幕府の所轄となって函館奉行に属していた。
安政4年
堀田備中守の家臣が本村を探検、これが文献に現れた和人最初の足跡とされています。
安政6年
会津藩に属し、斜里に役所を置く。
明治2年
蝦夷を改め北海道とし、11国86郡を定め、ここにはじめて北見国斜里郡となる。
明治5年
開拓史根室支庁の管轄となる。
明治12年
網走郡役所に属し、斜里戸長役場が設置された。
明治15年
根室県に属す。
明治19年
根室県廃止により、北海道庁の管轄となる。
明治23年
網走から釧路を結ぶ釧路道路が開削。
明治24年
岩手県人、塚本伊勢太氏が野川駅逓の管理人として定住。
明治30年
神威10線21号に塚本氏転住入地、本村における和人居住のはじめである。
昭和18年
斜里町および小清水村一部を分かち上斜里村が誕生した(開村)。
昭和22年
公選による村長誕生(中村弥一氏)。役場庁舎落成。
昭和28年
村章(現在の町章)を制定。
昭和30年
町制が施行され、町名を清里町と改称。
昭和43年
町旗、町民憲章を制定。愛の鐘建立。
昭和48年
役場庁舎落成。第1次清里町総合計画策定。
昭和50年
町制施行20周年を記念して町花「ムクゲ」、町木「オンコ」を制定。大橋道生氏が町長に初当選。
昭和52年
裏摩周地区阿寒国立公園に指定される。
昭和54年
じゃがいも焼酎「きよさと」発売。
昭和55年
斜里岳が道立自然公園に指定。第1回「ふるさと産業まつり」開催。
昭和62年
第1回「焼酎フェスティバル」開催。
平成元年
第1回みどりのフェスティバル開催。
平成4年
全国農村景観100選(特選20選)に選ばれる。
平成7年
橋場博氏が町長に初当選。
平成9年
清里町百年記念事業、ニュージーランド・タスマン地区・モトエカと友好都市提携。
平成13年
第4次総合計画重点プロジェクト「花と緑と交流のまちづくり事業」スタート。
平成15年
全国花のまちづくりで日本一(農林水産大臣賞)。
平成17年
清里町制施行・町名改称50周年。
平成18年
過疎地域自立優良事例表彰で総務大臣賞を受賞。
平成19年
平成19年緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰を受賞。
平成20年
地方自治法施行60周年記念式典において総務大臣表彰を受賞。
平成21年
ニュージーランド・タスマン地区・モトエカと友好都市協定再調印。第1回きよさと商工まつり開催。
平成22年
第1回きよさとにぎわいまつり開催。清里町民会館落成。
平成23年
櫛引政明氏が町長に初当選。
平成25年
清里町115年開町70周年記念式典開催。
平成26年
町民プール工事着工。
じゃがいも焼酎「北海道 清里」リニューアル。
平成27年
町民プール完成。
じゃがいも焼酎「北海道 清里」がグッドデザイン賞を受賞。
平成28年
きよさと情報交流施設「きよ~る」が完成。
清里町が「日本で最も美しい村」連合に加盟。
平成29年
阿寒国立公園が阿寒摩周国立公園に改称され、神の子池が国立公園に編入。
平成30年
清里町120年開町75周年記念式典開催。
ケアハウスきよさとオープン。
令和元年
商工会ポイントカード「KIYOPON(きよポン)」の利用が始まる。
令和2年
第6次清里町総合計画策定。
令和3年
子育て世代包括支援センター開設。
令和4年
緑ダム小水力発電所落成。
定住自立圏「共生ビジョン」策定。
令和5年
古谷一夫氏が町長に初当選。
清里町地域交流拠点施設落成。
「ゼロカーボンシティ清里」宣言。