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清里町120年・開町75周年

昔の清里町

多くの先人たちが幾多の苦難と激動の時代を乗り越え、安住の地を築き躍進した「上斜里村」。農業・林業・商業・工業などの基幹産業を中心に栄え、人口も1万1千人を超えた昭和30年8月1日、全村民の願いから待望の町制が施行されました。
町制施行を機に町名を公募し、「清らかな里」という意味と、小清水村と斜里町から分村したという歴史を将来に残す意味を兼ね、「清里町」が誕生しました。

市街地の移り変わり

町制施行が行なわれた昭和30年から数年後、日本は毎年の経済成長率が10パーセントを超えるほどの高度経済成長期に入りました。
この経済の急成長に歩みを合わせるように、清里町でも清里町駅舎が落成、清里中標津間の開発道路が完成するなど、人や物資の流れや生活様式が変わるとともに商店街を中心とする市街地の様子も大きく変貌、発展をとげていきました。
また、平成の時代に入った平成5年からは市街地近代化事業が開始され、近代化された街並みに大きく生まれ変わるとともに、夏は花やみどり、冬はイルミネーションに彩られる現在の市街地となっています。
市街地の移り変わりは、ある意味では時代の変化や町民の暮らしや心を映し出す鏡の役割を果しているのかもしれません。市街地に元気や活力が溢れるとき、町の元気や活力が湧いてくるのではと。

昔の清里町1

昔の清里町2

昔の清里町3

峠の風景 今昔

経済成長が進むにつれ、産業や人々の活動を支える道路網の整備の必要性が増し、むき出しの土や火山灰で出来ていた道路も砂利道へ、さらに舗装道路へと姿を変えていきました。
特に物流や観光の要所にあたる「清里峠」の風景は一変し、現在は冬の吹雪でも安全に通行できるスノーシェルターが整備されています。
ちなみに清里町の町道の舗装率は網走支庁管内で最高の72.1パーセント。この恵まれた道路環境を今後のまちづくりにどう生かしていくのか、これも大きな課題となります。

昔の道路

塗装道路

現在の整備された道路

町章の制定

町章

清里町のシンボルである町章。上斜里村の開村10年にあたって、躍進する村政にふさわしい村章制定が提起され、公募作品をもとに専門家などの意見を聞きながら、昭和28年8月11日の上斜里村議会で決定されました。
「周囲の円は町の和を表し、中央の三角は上斜里村の自然を象徴する秀峰斜里岳を配した」もので、現在に受け継がれています。

鉄路の役割と変化

昔の鉄道

最近の鉄道

昭和4年に斜里~札鶴(現在の札弦)間の鉄道が開通し、昭和6年には札鶴~川湯間が開通して釧網線が町内を貫通しました。
また、昭和9年には、森林軌道がオニセップ奥本流~上札鶴(現在の緑)に敷設されました。
当時の森林軌道は、原木の搬出を主な目的としており、その便利さから原木生産に拍車がかかり、網走管内の原木生産首位であった清里町林産業を支える重要な搬出手段として活躍しました。
その後、道路網の整備やブルドーザー、トラックなどの普及が進むと、その利用は減少し、奇しくも町制施行した昭和30年に森林軌道は姿を消すこととなりました。

鉄馬耕から機械耕へ

昔の耕作の様子

近年の耕作の様子

最近の耕作の様子

この地の開拓に必要不可欠で、耕作にもかかせなかった馬は、人間生活にもっとも密着した動物といえました。昭和30年代までは、農耕馬による馬耕を各地区の農家でふつうに行っていたことでも示されています。しかし、トラクターなどの機械で畑を耕すようになると、コンバインやハーベスターによる収穫、トラックによる運搬と機械化が一気に進み、馬の姿を見ることが皆無となりました。
今では、区画整理された広い耕作地のなかを大型機械が悠然と進む農作業風景に、観光客が車を止め見とれている光景をよく目にします。これも、現在の農業の基盤をつくった多くの農業者と多くの馬の活躍があったからに違いありません。

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